東日本大震災がひとつのターニングポイントだったと思う。
それまでは、解散して30年以上も経つ[ BOØWYの高橋まこと]という肩書きで来た。
そのままの形で音楽を続けている自分自身に、何となく違和感を感じはじめた。
『本当にこれで良いのか?残された人生でもう一度バンドを組んでみたい。』
そんな気持ちが震災後から芽生え始めたのかもしれない。
自分のパートとしてドラムをやり続けている中で、他の楽器と組まなければ自分の立ち位置がないなかで、
俺はスタジオミュージシャンではなくバンドのドラムとして生きていたいと…。
心の中でフラストレーションを抱えながら、バンドをやり続けているミュージシャンを横目で見て素直に羨ましかった。
『死んだら最後、悔いのない人生をもう一度バンドで終わりたい。』
こだわりを捨て、変なプライドを捨て、純粋にバンドを一緒にやってくれるメンバーを探し始め、約2年の歳月をかけて3人と出会った。
『ボーカル 椎名慶治、ギター 友森昭一、ベース tatsu』
そしてこの3人に想いを伝えた。
『シンプルな形態でもう一度バンドをやりたい』と。
彼ら3人は何の不満もなく、二つ返事で快く受けてくれた。
『素直に嬉しかった。』
昔、まだ音楽で食えなかった、若い頃のような気持ちでゼロから始めたい。
メンバーそれぞれに気持ちは伝えなくても、分かり合える感覚でいられる。
『バンドはチームであり、ひとつの目標に向かう生き物だと思う。』
高橋まこと